サラブレッドの始祖|三大始祖と消えた血統の秘密

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サラブレッドのレースを見るたびに、その血統の背景に思いを馳せたことはありませんか?サラブレッドとは一体どのような馬で、そのサラブレッドの語源は何なのでしょうか。全てのサラブレッドの父系を遡ると、たった3頭のサラブレッド 始祖に行き着くと言われています。しかし、三大始祖の現在の割合を見ると、ダーレーアラビアンの子孫が圧倒的です。一方で囁かれるバイアリータークの滅亡やゴドルフィンアラビアンの滅亡。なぜ三大始祖は滅亡した系統があるのでしょうか。そして、父系が途絶えたとされるバイアリータークの現在やゴドルフィンアラビアン系の現在の状況、さらに三大始祖以外にも存在したというサラブレッド 始祖 102頭の謎、そして三大始祖と日本競馬の深い関わりまで、この記事ではサラブレッドの血統にまつわる壮大な物語を解き明かしていきます。

この記事でわかること

  • サラブレッドの起源と三大始祖の正体がわかる
  • ダーレーアラビアン系が繁栄し他系統が滅亡した理由がわかる
  • 三大始祖以外の始祖や現代に繋がる血統の謎がわかる
  • サラブレッドの血統が日本競馬に与えた影響がわかる

目次

サラブレッド始祖とは?その壮大な物語の起源

  • サラブレッドとはどういう競走馬か
  • サラブレッドの語源に秘められた意味
  • ダーレーアラビアン子孫による血の支配
  • 三大始祖の現在における圧倒的な割合
  • 三大始祖以外に存在した102頭の始祖

サラブレッドとはどういう競走馬か

まずはじめに、「サラブレッド」の定義から確認していきましょう。サラブレッドとは、18世紀初頭にイギリスで競走用に品種改良された馬のことです。その最大の特徴は、驚異的なスピードと持続力にあります。

サラブレッドとして認められるためには、国際的な血統書管理機関である「ジェネラルスタッドブック」に登録されていることが絶対条件となります。この血統書には、その馬の両親、祖父母、さらにその祖先と、血統が厳格に記録されています。具体的には、連続8代にわたってサラブレッドの祖先を持つ馬でなければ、サラブレッドとして登録されることはありません。

血統書(ジェネラルスタッドブック)とは?

1791年にイギリスで創刊された、サラブレッドの血統を記録する公式な台帳です。ここに登録されている馬の子孫でなければ、サラブレッドとは認められません。これにより、血統の純粋性が300年以上にわたって守られています。

この厳格な血統管理こそが、サラブレッドを「最も速く走るために改良された馬」という特別な存在にしているのです。そして、この血統を遡っていくと、全てのサラブレッドはある特定の馬たちに行き着くことになります。


サラブレッドの語源に秘められた意味

「サラブレッド」という言葉の響きから、「純血」を意味すると思われがちですが、実は少し意味合いが異なります。サラブレッドの語源は、英語の「Thoroughbred(サラブレッド)」です。

この「Thoroughbred」は、「Thorough(徹底的な、完全な)」と「bred(育てられた、繁殖された)」という二つの単語が組み合わさってできています。つまり、直訳すると「徹底的に育種・改良された品種」という意味になるのです。

これは、サラブレッドが単なる純血種ではなく、特定の目的、すなわち「競走で勝利すること」のために、人間の手によって意図的に、そして徹底的に改良され続けてきた品種であることを示しています。単に血が混じっていないというだけでなく、選び抜かれた優秀な馬同士を交配し続けることで、より速く、より強い馬を作り上げてきた歴史そのものが、この言葉に込められていると言えるでしょう。

ライター

「純血」という意味合いで使われることが多いですが、語源を知ると、サラブレッドが人間の情熱と努力によって生み出された「作品」のようにも感じられますね。


ダーレーアラビアン子孫による血の支配

現代に生きる全てのサラブレッドの父系(父から息子へと受け継がれる血統)を遡っていくと、最終的にたった3頭の馬にたどり着きます。彼らは「サラブレッドの三大始祖」と呼ばれ、300年以上にわたるサラブレッドの壮大な歴史の源流となった、まさに絶対的な存在です。

まずは、この伝説的な3頭のプロフィールを見てみましょう。

サラブレッドの三大始祖
始祖名 生年(推定) 出身地 特徴・逸話
ダーレーアラビアン 1700年 シリア(アラブ馬) 現代サラブレッドの父系の95%以上を占める最大の繁栄系統。シリアの遊牧民からイギリス領事トーマス・ダーレーによって英国へ渡りました。
ゴドルフィンアラビアン 1724年 イエメン(アラブ馬) フランス国王への贈り物だったという説や、気性の荒さなど数奇な運命を辿った名馬。多くの物語に彩られています。
バイアリーターク 1680年 トルコ(ターク種) 三大始祖の中で最も古く、ボイン川の戦いで軍馬として武勲を立てたという異色の経歴を持っています。

この表からも分かる通り、三大始祖の中でも特に傑出した存在がダーレーアラビアンです。彼の父系、いわゆるサイアーラインを辿ると、現代のサラブレッドの実に95%以上がこのダーレーアラビアンの血を引いているという驚くべき事実に行き着きます。では、なぜこれほどまでに彼の血統だけが爆発的に広がり、競馬の世界を支配するに至ったのでしょうか。

その最大の理由は、ダーレーアラビアンから5代目の子孫にあたる、一頭の「怪物」の存在にあります。彼の名は「エクリプス」。サラブレッドの歴史を語る上で、この馬を避けて通ることはできません。

歴史を変えた馬、エクリプスの伝説

エクリプスは、後にも先にも現れないであろう、まさに伝説的な名馬でした。彼の非凡な物語は、その誕生から始まります。

金環日食の日に生まれた「怪物」

エクリプスが生まれたのは1764年4月1日。この日はイギリスで大規模な金環日食が観測された日でした。「Eclipse」という名前は、この「日食」に由来しています。日食の日に生まれたという神秘的な逸話は、彼の特別な運命を暗示していたかのようです。

「Eclipse first, the rest nowhere.」

競走馬としてデビューしたエクリプスは、文字通り無敵でした。生涯成績は18戦18勝。ただ勝っただけではなく、その勝ち方が異次元だったのです。

当時の競馬のルールでは、1着馬から240ヤード(約219メートル)以上離された馬は、2着以下とは認められませんでした。エクリプスはあまりにも速すぎたため、他の馬たちは遥か後方に置き去りにされ、レース後には「Eclipse first, the rest nowhere.(エクリプス1着、ほかは影も形も見えず)」と記録されることが常でした。これは、彼の絶対的な強さを象徴する有名な言葉として、今なお語り継がれています。

種牡馬としての圧倒的な成功

引退後、種牡馬となったエクリプスは、その競走能力を産駒に驚くほど正確に伝えました。産駒の勝利数は344にも上り、その中にはポテイトーズやキングファーガスといった後継種牡馬も含まれていました。彼の子孫たちがイギリスだけでなく、世界中の競馬場で勝利を重ねた結果、他の系統を圧倒。サラブレッドの血統図は、エクリプスの子孫たちによって急速に塗り替えられていったのです。

ライター

エクリプス一頭の存在が、その後のサラブレッド300年の歴史の方向性を決定づけてしまったわけですね。まさに突然変異とも言える「怪物」の登場が、現在の血の支配体制の起源と考えると、競馬の奥深さを感じずにはいられません。

このように、ダーレーアラビアン系の繁栄は、エクリプスという一頭の歴史的な名馬の登場によって決定づけられました。馬産家たちはこぞって勝てる血、つまりエクリプスの血を求め、その結果として他の系統は淘汰され、現代へと続く血の支配体制が確立されたのです。

三大始祖の現在における圧倒的な割合

前述の通り、現代サラブレッドの父系はダーレーアラビアン系によって席巻されています。この血統の偏りは、近年の研究によってさらに明確になっています。

遺伝子の解析技術が進んだことで、サラブレッドのY染色体(父から息子にのみ受け継がれる)を調査した研究が行われました。その結果、調査対象となったサラブレッドの実に95%以上が、ダーレーアラビアンに由来するY染色体を持っていることが確認されています。

父系(サイアーライン)の割合

  • ダーレーアラビアン系:約95%
  • ゴドルフィンアラビアン系:約3~4%
  • バイアリーターク系:約1%未満

※研究により多少の誤差はありますが、おおむねこのような割合とされています。

この数字は、サラブレッドという品種がいかに特定の血統に依存しているかを示しています。ゴドルフィンアラビアン系とバイアリーターク系の父系は、まさに「風前の灯火」と言える状況にあり、血統の多様性という観点からは大きな課題を抱えているのが現状です。

遺伝的多様性の喪失というリスク

特定の種牡馬や血統に交配が集中することは、競走能力の向上という面では効率的かもしれません。しかし、その一方で遺伝子の多様性が失われるリスクを伴います。遺伝的な多様性が低下すると、特定の病気に対する抵抗力が弱まったり、繁殖能力が低下(近交弱勢)したりする可能性が指摘されています。

しかし、ここで一つ面白い事実があります。父系だけを見るとダーレーアラビアンの圧勝ですが、母系なども含めた馬全体の遺伝的貢献度を見ると、実はゴドルフィンアラビアンが最も高いという研究結果もあるのです。この点については、後の章で詳しく解説します。


三大始祖以外に存在した102頭の始祖

ここまで「サラブレッドの始祖は3頭」と解説してきましたが、実はサラブレッドという品種が確立される初期の段階では、もっと多くの種牡馬がその基礎を築いていたことが分かっています。

サラブレッドの血統を管理する「ジェネラルスタッドブック」の序巻(Volume 1 Prelude)には、三大始祖を含む約102頭もの基礎種牡馬(Foundation Sires)の名前が記載されていました。彼らはアラブ馬、ターク種、バルブ種など様々な地域からイギリスへ渡ってきた馬たちです。

では、なぜ最終的にダーレーアラビアン、ゴドルフィンアラビアン、バイアリータークの3頭だけが「三大始祖」として語り継がれることになったのでしょうか。

淘汰の歴史

その理由は極めてシンプルで、「競走に勝つ子孫を残せなかったから」です。サラブレッドは速く走るために作られた品種です。そのため、競走成績の振るわない馬の子孫は、次第に繁殖の機会を失い、歴史の舞台から姿を消していきました。結果として、たまたま優秀な後継ぎに恵まれた3つの父系だけが、300年以上にわたる厳しい淘汰の歴史を生き残り、現代にその血を繋いでいるのです。

つまり、三大始祖は最初から特別な存在だったわけではなく、数多くのライバルとの生存競争に勝ち残った「勝者」だったと言えます。三大始祖以外の100頭近い馬たちも、サラブレッドという壮大な物語の礎を築いた、忘れてはならない存在なのです。


現代に続くサラブレッド始祖の血統図

  • バイアリーターク滅亡という言葉の真実
  • 幻のゴドルフィンアラビアン滅亡の背景
  • なぜ三大始祖の父系は滅亡したのか
  • バイアリータークとゴドルフィンアラビアン系現在の姿
  • 日本競馬史に刻まれた三大始祖の蹄跡
  • 未来へ紡ぐサラブレッド始祖の物語

バイアリーターク滅亡という言葉の真実

三大始祖の一角、バイアリータークの系統について語られるとき、「滅亡」という強い言葉が使われることがあります。これは、彼の父系(サイアーライン)が、現代においてほぼ途絶えてしまったことを指しています。

バイアリーターク自身は、ウィリアム王の軍馬としてボイン川の戦いで武勲を立てたという異色の経歴を持つ馬でした。彼の血を大きく広げたのは、玄孫にあたる名馬「ヘロド」です。ヘロドは種牡馬として大成功し、一時はダーレーアラビアン系のエクリプスと勢力を二分するほどの大繁栄を築きました。

しかし、19世紀以降、エクリプス系の勢いがヘロド系を凌駕し始めます。特に20世紀に入るとその衰退は決定的となり、かつての大系統は次々と後継種牡馬を失っていきました。そして現在、バイアリータークに直接繋がる父系は、世界的に見ても極めて希少な存在となってしまったのです。

ライター

ただし、「滅亡」はあくまで父系の話です。母系(母親の血統)などを通じて、バイアリータークの血は数多くの現代の名馬に受け継がれています。この点は誤解されやすいポイントですね。

「滅亡」という言葉はセンセーショナルですが、その血が完全に消え去ったわけではないことを理解しておく必要があります。彼の血は、形を変えて今も競馬の世界に息づいているのです。


幻のゴドルフィンアラビアン滅亡の背景

三大始祖の中で最もドラマチックな生涯を送ったとされるのが、ゴドルフィンアラビアンです。フランス国王への贈り物だったという説や、気性が荒く乗りこなせる者がいなかったなど、多くの逸話が残されています。

彼の父系もまた、バイアリーターク系と同様に「滅亡」の危機に瀕しています。ゴドルフィンアラビアンの血を広げたのは、孫にあたる「マッチェム」でした。マッチェムもリーディングサイアーに輝くなど成功を収めましたが、その影響力はエクリプスやヘロドほど爆発的なものではありませんでした。

産駒は丈夫でスタミナがあったものの、時代の求める爆発的なスピードを持つ馬が少なかったことなどが、系統が伸び悩んだ一因と考えられています。20世紀にはマッチェム系の「ハリーオン」という馬が一時的に系統を復興させましたが、その後は再び衰退の一途をたどり、現在ではバイアリーターク系以上に希少な父系となっています。

父系は滅亡寸前、しかし遺伝的貢献度はNo.1

ここで非常に興味深いのが、前述した「遺伝的貢献度」の話です。ケンブリッジ大学の研究者による論文など複数の研究によると、サラブレッド全体の遺伝子(父系だけでなく母系なども全て含む)に占める割合を計算すると、ゴドルフィンアラビアンの血が約13.8%で最も高いという結果が出ています。

  • ゴドルフィンアラビアン:約13.8%
  • ダーレーアラビアン:約6.5%
  • カーウェンズベイバルブ:約4.9%
  • バイアリーターク:約3.3%

(※数値は研究により異なります)

これは、父系は途絶えかけていても、彼の娘たち(牝馬)の子孫が他の系統の馬と交配を重ねることで、その血がサラブレッドという品種全体に広く浸透していったことを意味します。「滅亡」という言葉の裏側には、このような複雑な血のドラマが隠されているのです。


なぜ三大始祖の父系は滅亡したのか

ダーレーアラビアン系だけが繁栄し、他の二系統の父系が「滅亡」寸前にまで追い込まれた理由は何だったのでしょうか。これには、いくつかの要因が複合的に絡み合っています。

1. エクリプスという突然変異の登場

最大の要因は、やはりダーレーアラビアン系のエクリプスの存在です。彼の圧倒的な競走能力と種牡馬としての成功が、サラブレッドの血統の方向性を決定づけました。馬産家たちはこぞってエクリプスの血を求め、その結果、他の系統は相対的に繁殖の機会を失っていきました。

2. 種牡馬ビジネスにおける「勝ち馬に乗る」傾向

近代競馬は巨大なビジネスでもあります。種牡馬の価値は、その産駒がどれだけレースに勝てるか、どれだけ高値で取引されるかによって決まります。そのため、人気のある種牡馬、つまりダーレーアラビアン系の主流血統に交配が集中するのは、経済合理性から見れば自然な流れでした。この商業主義が、血統の偏りを加速させた側面は否定できません。

3. 血の飽和と偶然

ヘロド系(バイアリーターク系)は一時期非常に繁栄したため、その血を持つ牝馬が市場に溢れました。近親交配を避けるためには、他の系統の種牡馬を配合する必要があり、それが結果的にライバルであるエクリプス系の繁栄を助けたという皮肉な見方もあります。また、優秀な後継種牡馬が誕生するかどうかには、多分に偶然の要素も絡んできます。

「滅亡」は能力の優劣ではない

重要なのは、バイアリーターク系やゴドルフィンアラビアン系の馬の能力が劣っていたわけではない、ということです。それぞれの時代でチャンピオンホースを生み出してきました。ただ、ダーレーアラビアン系、特にエクリプスの子孫たちの成功がそれを上回り、サラブレッドの歴史が「勝者総取り」の形で進んだ結果、現在の血統勢力図が形成されたのです。


バイアリータークとゴドルフィンアラビアン系現在の姿

父系(サイアーライン)がほぼ途絶えてしまったバイアリーターク系とゴドルフィンアラビアン系。しかし、これは彼らの血が競馬の世界から完全に消え去ったことを意味するわけではありません。むしろ、父から息子へと続く一本道が閉ざされた後も、彼らの遺伝子は母系(母の血統)などを通じて受け継がれ、時に思わぬ形で現代競馬に大きな影響を与えています。

ここでは、父系という表舞台から姿を消しつつある二系統が、現代においてどのような形でその存在感を示しているのか、その具体的な姿を追ってみましょう。

母の父として輝くバイアリータークの血

前述の通り、日本では1970年代に輸入された種牡馬「パーソロン」が、バイアリーターク(ヘロド)系の父系を繋ぎ、一時代を築きました。「皇帝」シンボリルドルフ、「奇跡の名馬」トウカイテイオーという二代の三冠馬や、「最強ステイヤー」メジロマックイーンなど、その功績は計り知れません。

しかし、彼らの父系を直接受け継ぐ後継種牡馬には恵まれず、父としては衰退してしまいました。ですが、彼の血の物語はそこで終わりませんでした。特にメジロマックイーンは、「ブルードメアサイアー(母の父)」として、歴史的な名馬を送り出すことで、その価値を再び証明したのです。

メジロマックイーンの血が生んだ「怪物」たち

メジロマックイーンを母の父に持つ馬として、最も有名なのがオルフェーヴルです。父サンデーサイレンス系(ステイゴールド)と母父メジロマックイーンの配合から生まれた彼は、三冠制覇や凱旋門賞での2度の2着など、世界を舞台に大活躍しました。その全兄であるドリームジャーニーもG1を3勝しています。

  • オルフェーヴル:父・ステイゴールド × 母父・メジロマックイーン
  • ドリームジャーニー:父・ステイゴールド × 母父・メジロマックイーン

この配合の成功は、「ステマ配合」とも呼ばれ、サンデーサイレンス系の瞬発力と、メジロマックイーン(バイアリーターク系)が持つスタミナと底力が奇跡的な融合を果たした例として知られています。

他にも、G1・6勝を挙げたゴールドシップも母の母の父がメジロマックイーンであり、その影響は計り知れません。父系という一本道が細くなっても、母系という新たなルートを通じて、バイアリータークの強靭な血は現代のチャンピオンホースたちに確かに受け継がれているのです。

毛細血管のように広がるゴドルフィンアラビアンの血

ゴドルフィンアラビアンの血統は、さらに興味深い形で現代にその影響を残しています。父系としてはアメリカの伝説的名馬マンノウォーの系統が知られますが、こちらも現在は非常に希少です。

しかし、前述の通り、サラブレッド全体の遺伝子に占める貢献度を計算すると、三大始祖の中でゴドルフィンアラビアンが最も高いという研究結果があります。なぜ、父系が衰退しているにもかかわらず、このような逆転現象が起きるのでしょうか。

なぜ遺伝的貢献度がNo.1なのか?

その理由は、彼の娘たちが非常に優秀な繁殖牝馬となり、当時大成功していたダーレーアラビアン系の種牡馬と数多く交配されたためです。その結果、彼の血は父系という「一本の太い幹」ではなく、母系という「無数の毛細血管」のようにサラブレッドという種全体に広く、そして深く浸透していきました。私たちが目にするほとんどのサラブレッドには、血統表のどこかにゴドルフィンアラビアンの名前を見つけることができるはずです。

日本でも、彼の血は多くの名馬の活躍の源となってきました。芦毛の怪物として一世を風靡したオグリキャップは、母の父がゴドルフィンアラビアン系であり、彼の驚異的なタフネスや勝負根性は、この血の影響も大きいと言われています。また、そのライバルであった月毛のアイドルホース・タマモクロスも、父の母父がゴドルフィンアラビアン系でした。

ライター

父系だけを追うと「滅亡」という言葉に行き着きますが、血統表を母方へ、さらにその母方へと遡っていくと、消えたはずの始祖たちの名前がひょっこり顔を出す。これこそが、血統の面白さであり、競馬のロマンですよね。

このように、父系の衰退は、決して血統の終わりを意味しません。形を変え、役割を変え、三大始祖の血は今もなお、ターフを駆けるサラブレッドたちの走りを確かに支えているのです。

日本競馬史に刻まれた三大始祖の蹄跡

サラブレッド三大始祖の血統、その壮大な物語は、遠いイギリスの地だけのものではありません。彼らの血は海を渡り、日本の競馬の発展と密接に関わりながら、数々のドラマを生み出してきました。明治時代に小岩井農場が競走馬の本格的な輸入を始めて以来、日本の馬産家たちは世界の優れた血統を取り入れ、日本の競馬レベルを飛躍的に向上させてきたのです。

ここでは、三大始祖の血が日本の地でどのように花開き、そして変遷していったのか、その歴史を紐解いていきます。

群雄割拠の時代 ~サンデーサイレンス登場以前~

1980年代頃までの日本競馬は、現在とは全く異なる血統勢力図でした。ヨーロッパから輸入された種牡馬たちが覇を競い、個性豊かな名馬たちがターフを彩る、まさに「群雄割拠」の時代でした。

当時の日本競馬を支配した三大血統

  • パーソロン(バイアリーターク系):スタミナと底力に優れ、長距離レースで強さを発揮する産駒を多く輩出しました。日本初の無敗三冠馬シンボリルドルフや、その子トウカイテイオーが代表産駒です。
  • テスコボーイ(ダーレーアラビアン系):圧倒的なスピード能力を産駒に伝え、マイルから中距離路線で活躍。キタノカチドキトウショウボーイなどを送り出しました。
  • ノーザンテースト(ダーレーアラビアン系):スピードとスタミナを兼ね備えた万能型の産駒を輩出し、長きにわたりリーディングサイアーとして君臨。当時の日本の繁殖牝馬の血統を塗り替えるほどの影響力を持ちました。

これらの多様な血統が互いに競い合い、高め合うことで、日本競馬は独自の発展を遂げていました。しかし、この均衡は1990年、一頭の「黒船」の来航によって、根底から覆されることになります。

黒船来航 ~サンデーサイレンス革命~

その馬の名は、サンデーサイレンス。ダーレーアラビアン(エクリプス)の系譜に連なる、アメリカの二冠馬でした。輝かしい競走成績を引っさげて来日しましたが、アメリカではその激しい気性から種牡馬としての評価が万全ではなかったと言われています。しかし、社台ファームの吉田善哉氏(当時)は彼の才能を見抜き、巨額を投じて日本へ導入しました。

この決断が、日本競馬の歴史を永遠に変える「革命」の始まりでした。

1994年、彼の初年度産駒がデビューすると、競馬界に衝撃が走ります。産駒たちは、それまでの日本馬とは明らかに違う、異次元の瞬発力(ゴール前の直線での爆発的な加速力)を武器に、次々とビッグタイトルを制覇。フジキセキ、ジェニュイン、タヤスツヨシといった産駒がいきなりクラシック戦線を席巻したのです。

ライター

それまでの「良い脚を長く使う」競馬から、「一瞬の切れ味で抜き去る」競馬へ。サンデーサイレンスは、日本の競馬の“勝ち方”そのものを変えてしまいました。

その後も、スペシャルウィークサイレンススズカステイゴールド、そして日本競馬の至宝ディープインパクトなど、枚挙にいとまがないほどの歴史的名馬を輩出。1995年から2007年まで、13年連続で日本のリーディングサイアーに輝くという空前絶後の記録を打ち立て、「サンデーサイレンス系」は日本競馬における絶対的な主流血統となったのです。

なぜサンデーサイレンスは日本で成功したのか?

彼の成功には、いくつかの明確な理由がありました。

  • 日本の軽い芝への驚異的な適性:硬く、直線の長い日本の競馬場は、サンデー産駒が持つ瞬発力を最大限に引き出す最高の舞台でした。
  • 配合の自由度と「ニックス」:来日当時、彼の血を持つ繁殖牝馬は日本に皆無でした。そのため、ノーザンテーストなど、当時の優秀な牝馬と自由に交配できたことが成功を後押ししました。この配合は「ニックス(血統的な相性の良さ)」と呼ばれ、多くの名馬を生み出す要因となります。

革命がもたらした光と影

サンデーサイレンスの登場は、日本馬のレベルを世界水準へと一気に引き上げる、まさに「光」となりました。ディープインパクトやオルフェーヴルといった彼の子孫たちが、凱旋門賞をはじめとする海外の最高峰レースで互角以上に渡り合う礎を築いたことは、紛れもない事実です。

しかし、そのあまりに偉大な成功は、同時に「影」も生み出しました。

血の飽和という課題

サンデーサイレンス系への極端な集中は、「血の飽和」という新たな問題を引き起こしました。優秀な競走馬のほとんどがサンデーの血を持つようになり、配合相手に苦慮するケースや、近親交配による活力の低下が懸念されています。これは、世界の競馬界がダーレーアラビアン(エクリプス)系に偏っているのと同じ構図であり、日本競馬が抱える現代的な課題なのです。

サンデーサイレンスという一頭の馬がもたらした革命は、日本競馬に計り知れない恩恵と、未来への宿題を残しました。彼の血が流れる子孫たちが、今この瞬間も、日本中のターフで新たな歴史を刻み続けています。


未来へ紡ぐサラブレッド始祖の物語

この記事のまとめ

  • サラブレッドとは競走用に徹底的に品種改良された馬のこと
  • サラブレッドの語源は「Thoroughbred(徹底的に育てられた)」
  • 全てのサラブレッドの父系は三大始祖(ダーレーアラビアン、ゴドルフィンアラビアン、バイアリーターク)に行き着く
  • 現代サラブレッドの父系の95%以上はダーレーアラビアンの子孫
  • この支配はダーレーアラビアンの5代目の子孫エクリプスの成功によるもの
  • バイアリータークとゴドルフィンアラビアンの父系は滅亡寸前
  • 「滅亡」とは父系(サイアーライン)が途絶えることを指す
  • 父系が滅亡しても母系などを通じてその血は現代に受け継がれている
  • 全体の遺伝的貢献度ではゴドルフィンアラビアンが最も高いという研究もある
  • かつては三大始祖以外に102頭もの基礎種牡馬が存在した
  • 競走での厳しい淘汰の結果、3つの系統だけが生き残った
  • 日本の競馬はバイアリーターク系のパーソロン産駒が一時代を築いた
  • 1990年代にダーレーアラビアン系のサンデーサイレンスが日本の血統図を塗り替えた
  • サンデーサイレンス産駒は日本の馬場に驚異的に適合し競馬界を席巻した
  • 特定の血統への集中は遺伝的多様性の喪失というリスクを伴う
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