凱旋門賞の歴代最強馬はどの馬なのか、そしてなぜ日本のホースマンはこれほどまでに凱旋門賞にこだわるのでしょうか。この記事では、凱旋門賞の歴代優勝馬の伝説から、日本馬が凱旋門賞で勝てないと言われる理由まで、競馬ファンの皆様が抱くであろうあらゆる疑問に深く迫ります。多くのファンが思い描く、凱旋門賞に出ていれば勝ってた日本馬の存在や、そもそも凱旋門賞で日本馬が勝ったことあるのかという基本的な問いにもお答えします。特に語り継がれる凱旋門賞のディープインパクトの挑戦と、凱旋門賞におけるディープインパクトの失格がなぜ起きたのか、その真相を紐解いていきましょう。また、多くの競馬ファンがオルフェーヴルの凱旋門賞は勝てたと信じる2013年のレースを振り返り、当時の凱旋門賞におけるオルフェーヴルの騎手の判断や、種牡馬となったオルフェーヴルの現在についても詳しく解説します。凱旋門賞の優勝馬、特に日本からの凱旋門賞優勝馬はまだ誕生していませんが、凱旋門賞で日本馬で2位に入ったのはどの馬だったのか、その激闘の歴史を振り返りながら、日本競馬界の悲願に迫ります。
この記事で分かること
- 凱旋門賞が「世界最高峰」と言われる本当の理由
- 日本馬が凱旋門賞で勝てないと言われる複数の要因
- ディープインパクトやオルフェーヴルの挑戦の真相
- 歴代最強と謳われる伝説的な名馬たちの走り
凱旋門賞の歴代最強馬と日本馬の挑戦史
- 世界のホースマンが凱旋門賞になぜこだわるのか
- 凱旋門賞の記憶に残る歴代優勝馬たち
- 凱旋門賞に挑んだ歴代日本馬の輝かしい軌跡
- 日本馬が凱旋門賞で勝てないと言われる理由
- 凱旋門賞で日本馬で2位に入ったのはこの名馬
- ディープインパクトの凱旋門賞挑戦と失格はなぜ

世界のホースマンが凱旋門賞になぜこだわるのか
凱旋門賞は、単なる高額賞金のレースというだけではありません。世界のホースマンがこのレースにこだわる理由は、その長い歴史と格式、そして未来の競馬を創る「種牡馬選定競走」としての側面にあります。
1920年に創設されたこのレースは、第一次世界大戦からの復興の象徴として始まりました。その目的は、ヨーロッパ最高峰の馬たちを集め、競わせることで、最も優れた血統を選び抜くことにあったのです。つまり、凱旋門賞を勝つことは、その馬が世代最強であることの証明であり、同時にその血を後世に伝える価値があることの証明でもあります。
このため、優勝馬には種牡馬としての絶大な価値が付与されます。自身の能力を産駒に伝え、未来の競馬界に大きな影響を与えることができるのです。生産者にとっては最高の栄誉であり、馬主にとっては計り知れない名声と経済的価値をもたらします。このような理由から、凱旋門賞は単なる一競走ではなく、競馬という文化そのものを象徴する特別な存在として、世界中のホースマンが憧れ、目指す頂点となっているのです。
凱旋門賞の基本情報
毎年10月の第1日曜日に、フランスのパリロンシャン競馬場・芝2400mで開催されるG1レースです。3歳以上の牡馬・牝馬が出走可能で、ヨーロッパの競馬シーズンの集大成として位置づけられています。

凱旋門賞の記憶に残る歴代優勝馬たち
凱旋門賞の100年を超える歴史の中では、数えきれないほどのドラマと、時代を象徴する名馬たちが誕生してきました。「歴代最強」という称号がどの馬にふさわしいかという議論は、時代背景や個人の主観によって答えが異なります。しかし、そのような議論の中でも、特に多くの専門家や長年の競馬ファンから「別格であった」と評され、その輝きが色褪せることのない伝説的な優勝馬たちが存在します。ここでは、その中でも特に記憶に残る名馬たちの走りを紹介します。
シーバード(1965年優勝)
凱旋門賞の歴史を語る上で、シーバードの名前を外すことはできないでしょう。彼が勝利した1965年のレースは、今なお「史上最もハイレベルなメンバーが揃った一戦」として語り継がれています。この年の出走馬には、無敗のフランス二冠馬で、シーバードと同じ牧場の生産馬であったリライアンスや、アメリカから参戦したダービー馬トムロルフなど、各国のチャンピオンクラスが集結していました。
そのような強敵を相手に、シーバードが見せたパフォーマンスは圧巻の一言でした。レースは中盤まで後方の外目で静かに進められ、最後の直線入り口の時点ではまだ先頭から大きく離れた位置にいました。しかし、鞍上が軽く仕掛けると、まるでワープするかのような加速を見せます。他の有力馬たちが激しく競り合うのを尻目に、一頭だけ次元の違う末脚で全頭を抜き去り、最後は鞍上が手綱を抑える余裕を見せながら6馬身もの差をつけて圧勝しました。
この衝撃的な走りから、彼は「空飛ぶ馬(The Flying Bird)」と称賛されました。ただ強いだけでなく、その走りには芸術的な美しささえ感じさせます。このため、多くの競馬史研究家が、競馬というスポーツが生んだ最高傑作の一つとして彼の名前を挙げるのです。
ダンシングブレーヴ(1986年優勝)
シーバードの勝利から約20年後、再び世界中の競馬ファンを驚愕させる馬が現れます。それが、1986年の優勝馬ダンシングブレーヴです。彼の勝利は、凱旋門賞の常識を覆す、まさに「伝説の追い込み」でした。当時の出走馬も極めてレベルが高く、15頭中11頭がG1レースの勝ち馬という豪華な顔ぶれでした。
レースがスタートすると、ダンシングブレーヴは最後方からのんびりと追走します。一般的に、多頭数で有力馬が揃う凱旋門賞において、後方待機策は展開に左右されるリスクの高い戦法とされています。実際、最後の直線に入っても彼の前には14頭もの馬群の壁が立ちはだかっていました。誰もが勝利は絶望的かと思った瞬間、鞍上のパット・エデリー騎手が馬群の大外に持ち出すと、ダンシングブレーヴは爆発的な末脚を繰り出します。
その切れ味は「雷鳴」と形容されるほど凄まじく、ゴールまでのわずかな距離で全頭を抜き去って勝利しました。特にラスト200mのタイムは10秒台であったと推定されており、重い馬場の凱旋門賞では信じがたい記録です。この常識外れのパフォーマンスは、凱旋門賞の歴史における最もドラマチックな逆転劇の一つとして、ファンの記憶に深く刻まれています。
不運の天才
ダンシングブレーヴは種牡馬としても大きな期待をかけられましたが、ウイルス性の病気により、多くの産駒を残すことなくこの世を去りました。もし彼が健康であれば、世界の血統地図を塗り替えていたかもしれない、と言われるほどの才能の持ち主でした。
トレヴ(2013年・2014年優勝)
日本の競馬ファンにとって、トレヴは忘れられない一頭と言えるでしょう。なぜなら、彼女は2013年にオルフェーヴルの凱旋門賞制覇という日本の悲願を打ち砕いた馬だからです。しかし、彼女の実力は決してフロックなどではありませんでした。
2013年、3歳牝馬だった彼女は、圧倒的な強さでレースを支配します。当日は大雨の影響で極端に時計のかかる馬場状態でしたが、それをものともせず、最後の直線では後続を5馬身も突き放して圧勝しました。続く2014年は、シーズンを通して不調が続き、評価を大きく落としてレース当日を迎えます。ところが、本番では前年を彷彿とさせる見事な走りで復活を遂げ、史上6頭目となる凱旋門賞連覇の偉業を達成しました。一度はどん底を味わいながら、最高の舞台で蘇るその姿は、多くの人々に感動を与えました。
エネイブル(2017年・2018年優勝)
トレヴの連覇から数年後、現代競馬において「女王」の名に最もふさわしい名牝が誕生します。それが、2017年と2018年に凱旋門賞を連覇したエネイブルです。彼女はキャリアを通してG1レースを11勝も挙げるなど、圧倒的な戦績を誇りました。
彼女の強さは、どんな展開にも対応できるレースセンスの高さと、他馬を力でねじ伏せる先行力にあります。2017年は持ち前の力を存分に発揮しての完勝でした。一方で、2018年は春に負った怪我を乗り越えての出走であり、万全の状態とは言えませんでした。レースでも、ゴール前でシーオブクラスの猛烈な追い込みに遭いますが、これを驚異的な精神力で凌ぎきって勝利をもぎ取ります。この勝利は、彼女がただ強いだけでなく、偉大な勝負根性の持ち主であることを証明しました。
翌年には史上初となる3連覇の偉業に挑み、惜しくも2着に敗れはしたものの、その挑戦は彼女の評価を何ら損なうものではありません。むしろ、勝ち続けることの難しさと、それでも頂点を目指し続けた彼女の姿は、現代競馬における最強牝馬の象徴として、長く語り継がれていくことでしょう。
どの馬も本当に伝説的ですね!ただ勝つだけでなく、その背景にある物語や勝ち方のインパクトが、名馬を名馬たらしめているのだと感じます。こうした馬たちがいるからこそ、凱旋門賞の価値は高まり続けるのですね。
特に有名な歴代優勝馬
| 優勝年 | 馬名 | 特筆事項 |
|---|---|---|
| 1965年 | シーバード | 「史上最強」との呼び声も高い伝説的な勝ち方 |
| 1986年 | ダンシングブレーヴ | 最後方からの「雷鳴の追い込み」で圧勝 |
| 2008年 | ザルカヴァ | 無敗のまま凱旋門賞を制した名牝 |
| 2013年・2014年 | トレヴ | オルフェーヴルを破り、連覇を達成した女傑 |
| 2017年・2018年 | エネイブル | 史上7頭目の凱旋門賞連覇を達成した名牝 |

凱旋門賞に挑んだ歴代日本馬の輝かしい軌跡
日本馬による凱旋門賞への挑戦は、1969年のスピードシンボリから始まりました。当時は海外遠征自体が非常に珍しく、結果は振るわなかったものの、この挑戦が未来への大きな一歩となったのは間違いありません。
その後、シリウスシンボリやトニービンといった馬たちが挑戦を続けますが、世界の壁は厚く、なかなか上位に食い込むことはできませんでした。しかし、挑戦の歴史に大きな転機が訪れます。
1999年、エルコンドルパサーが2着と好走し、日本中に衝撃を与えました。この快挙は、「凱旋門賞は夢のまた夢」から「現実的な目標」へと、日本競馬界の意識を大きく変えるきっかけとなったのです。この一戦以降、日本馬の挑戦は本格化。毎年のように有力馬が海を渡り、世界の頂点を目指すようになりました。ディープインパクト、オルフェーヴル、キズナ、サトノダイヤモンドなど、各時代を彩った名馬たちが、日本の競馬ファンの夢を乗せてパリのターフを駆け抜けました。

日本馬が凱旋門賞で勝てないと言われる理由
半世紀以上にわたる挑戦の歴史の中で、数多くの日本馬が世界の頂点まであと一歩に迫ってきました。日本競馬のレベルは世界トップクラスになったと評価される現在、多くのファンが「なぜ凱旋門賞だけが勝てないのか」という疑問を抱いています。その理由は決して一つではなく、複数の高い壁が複雑に絡み合い、日本馬の前に立ちはだかっているのです。
馬場の違い:タフな欧州の芝
日本馬が凱旋門賞を勝てない最大の要因として、まず挙げられるのが「芝」の根本的な違いです。日本の競馬場は、スピードが出やすいように改良された野芝や高麗芝をベースに、水はけの良い軽い馬場が主流となっています。これは、レース終盤の瞬発力勝負をファンが好む、日本の競馬文化に合わせて進化した結果と言えるでしょう。
一方、パリロンシャン競馬場をはじめとする欧州の芝は、年間を通して競馬が開催されるため、耐久性の高い洋芝(ライグラスなど)が中心です。これらの芝は根が深く、密度も高いため、日本の馬場に慣れた馬にとっては、まるで絨毯の上を走るような、あるいは「沼地を走っているようだ」と表現されるほど、まとわりつくような重さを感じさせます。このため、日本馬が得意とする一瞬のスピードや切れ味が削がれてしまい、純粋なパワーとスタミナが求められる消耗戦になりがちです。
血統にまで刻まれた適性の違い
欧州では、こうしたタフな馬場での消耗戦に強いスタミナ血統(サドラーズウェルズ系など)が長年にわたり発展しました。逆に日本では、スピードと瞬発力に優れたサンデーサイレンス系の血統が競馬界を席巻し、求められる能力の方向性が大きく異なっていったのです。この血統レベルでの適性の違いが、大きな壁の一つとなっています。
コース形態の特殊性
パリロンシャン競馬場の2400mという舞台も、日本馬を苦しめる特殊なコース形態をしています。まず、高低差が約10mあり、これは高低差が約5mで「タフなコース」として知られる中山競馬場の倍に相当します。見た目以上にアップダウンが激しく、レースを通してじわじわとスタミナを奪っていくのです。
そして、このコースの最大の特徴が、ゴール手前に存在する「フォルスストレート(偽りの直線)」です。最後のコーナーを抜けると、一見ゴール前の直線に見える長い上り坂が現れます。ここで多くの騎手が勝利を急いでしまい、早めに仕掛けてしまいがちです。しかし、本当のゴール板がある平坦な直線はその先に待っています。この偽りの直線でスタミナを無駄遣いしてしまうと、最後の最も重要な場面で脚が残っておらず、失速する原因となってしまうのです。このコースを知り尽くした現地のトップジョッキーと、遠征してきた騎手との経験の差が、勝敗を分けることも少なくありません。
レースペースの違い
レース全体の流れ、つまり「ペース」の違いも日本馬にとっては厳しい条件です。日本の長距離レースでは、最後の直線での瞬発力勝負に備えるため、道中はスタミナを温存する比較的ゆったりとしたペースで流れることが多く見られます。これにより、各馬は得意な瞬発力を最大限に発揮する準備を整えるわけです。
しかし、凱旋門賞ではそのような展開は稀です。多頭数になりやすく、各馬が有利な位置を確保しようと序盤からポジション争いが激しくなります。また、スタミナに絶対の自信を持つ欧州の馬たちが、日本馬のスピードを削ぐために意図的に厳しいペースを作り出す、戦略的な側面もあります。道中で息を入れる暇のない「淀みないペース」でレースが進むため、日本馬は得意な瞬発力を爆発させるタイミングを掴めず、純粋なスタミナ比べに持ち込まれてしまうのです。
調整の難しさ
レースそのものだけでなく、そこにたどり着くまでの「調整過程」の困難さも、見過ごすことのできない要因です。約半日に及ぶ飛行機での長距離輸送は、繊細なサラブレッドにとって計り知れないストレスとなります。
さらに、現地の気候や水、飼葉(カイバ)といった環境の変化に適応しなくてはなりません。また、レースに出走する前には、感染症を防ぐための検疫期間が設けられており、その間は調教メニューが制限されるなど、陣営が思い描く理想のコンディション作りの妨げとなる場合があります。レース本番で100%の力を発揮することの難しさは、日本の厩舎で調整するのとは比較にならないほど高いと言えるでしょう。
勝てない理由のまとめ
このように、「馬場」「コース」「ペース」「調整」という4つの大きな壁が、日本馬の前に立ちはだかっています。どれか一つでも克服が難しい課題である上に、これらが複合的に絡み合うことで、凱旋門賞は日本馬にとって極めて難易度の高いレースとなっているのです。しかし、これらの課題を克服しようと、日本のホースマンたちは生産、育成、調教方法など、あらゆる面で試行錯誤を続けています。悲願達成の日は、決して遠くないかもしれません。

凱旋門賞で日本馬で2位に入ったのはこの名馬
優勝こそないものの、あと一歩まで迫った日本馬は過去に4頭(3頭が計4回)います。彼らの走りは、日本の競馬ファンに大きな感動と希望を与えてくれました。
| 年 | 馬名 | 着差 | 優勝馬 |
|---|---|---|---|
| 1999年 | エルコンドルパサー | 1/2馬身 | モンジュー |
| 2010年 | ナカヤマフェスタ | アタマ差 | ワークフォース |
| 2012年 | オルフェーヴル | クビ差 | ソレミア |
| 2013年 | オルフェーヴル | 5馬身 | トレヴ |
特にエルコンドルパサーは、直線で一度は完全に先頭に立ちながら、ゴール前で強敵モンジューの末脚に屈しました。また、ナカヤマフェスタは、優勝馬に並びかけるも僅かに及ばずアタマ差の2着。そしてオルフェーヴルは2年連続で2着となり、日本競馬界の悲願達成まであと一歩に迫りました。

ディープインパクトの凱旋門賞挑戦と失格はなぜ
2006年、無敗の三冠馬ディープインパクトの挑戦は、日本中が固唾をのんで見守りました。結果は3着入線でしたが、レース後に事態は一変します。レース後の薬物検査で、体内から禁止薬物が検出され、失格処分となってしまいました。
結論から言うと、これは意図的なドーピングではなく、治療目的で使用した薬物がレース当日まで体内に残留してしまったことが原因です。
検出されたのは「イプラトロピウム」という気管支拡張剤で、日本では禁止薬物ではありませんでしたが、フランスの競馬では使用が認められていませんでした。陣営は咳の治療のためにこの薬を使用していましたが、薬が体外に排出されるまでの期間の認識に誤りがあったのです。
ルールの違いが生んだ悲劇
この一件は、海外遠征におけるルール確認の重要性と、薬物管理の厳格さを改めて浮き彫りにしました。ディープインパクト陣営に悪意はなかったものの、結果として日本の競馬史に残る大きなショックな出来事となってしまったのです。
英雄の挑戦は、後味の悪い結末を迎えましたが、彼の走りが多くの人々の胸を打ったこともまた事実です。この経験は、その後の日本馬の海外挑戦における大きな教訓となりました。
凱旋門賞の歴代最強候補だった日本馬たち
- 凱旋門賞オルフェーヴル2013年の激闘
- オルフェーヴルは凱旋門賞で本当に勝てたのか
- 偉業を継ぐ英雄オルフェーヴルの現在
- 凱旋門賞に出ていれば勝ってた日本馬を考察
- 次の凱旋門賞で歴代最強となる日本馬は

凱旋門賞オルフェーヴル2013年の激闘
前年(2012年)に衝撃的な敗戦を喫したオルフェーヴルは、雪辱を期して2013年も凱旋門賞に挑戦しました。前哨戦のフォワ賞を圧勝し、現地での評価も非常に高く、多くのファンが今年こそ悲願達成と信じて疑いませんでした。
しかし、レース当日は不運にも大雨に見舞われ、極端に時計のかかる「極悪馬場」となってしまいます。オルフェーヴルは道中、良い位置でレースを進めましたが、最後の直線では馬場に脚を取られ、本来の伸びを見せることができませんでした。結果は、馬場を得意とする牝馬トレヴに5馬身もの差をつけられる完敗でした。
実力もさることながら、当日の馬場コンディションという「運」も、凱旋門賞を勝つためには必要不可欠な要素であることを痛感させられる一戦でした。たとえ万全の状態で臨んでも、天候一つで結果が大きく左右されてしまう。これが凱旋門賞の難しさであり、奥深さでもあるのです。

オルフェーヴルは凱旋門賞で本当に勝てたのか
「オルフェーヴルは凱旋門賞で勝てたはずだ」という議論は、数ある日本馬の挑戦の中でも、特に熱を帯びて今なお多くの競馬ファンの間で交わされます。この議論の中心は、他のどのレースでもなく、初挑戦だった2012年の凱旋門賞です。なぜなら、この一戦は単なる「惜敗」ではなく、誰もが勝利を確信した状況から、ゴール寸前で天国から地獄へと突き落とされたかのような、あまりにも衝撃的な結末だったからです。
この年、オルフェーヴルは最後の直線で馬場の真ん中を突き抜け、一時は後続に2馬身ほどの差をつけて完全に先頭に立ちました。残り200メートル、日本の競馬ファンの誰もが半世紀にわたる悲願達成を確信した瞬間でした。しかし、ゴールまで残りわずかというところで、彼の走りに異変が生じます。急にペースが落ちるとともに、内側の埒(らち)に向かって大きく斜行してしまったのです。その生まれたわずかな隙を、後方から追い込んできた牝馬ソレミアに突かれ、信じがたいクビ差の逆転負けを喫しました。
敗因の真相:騎手の判断か、馬の気性か
この悪夢のような敗戦の要因については、主に二つの視点から分析されています。一つは鞍上のクリストフ・スミヨン騎手の騎乗判断を問う声であり、もう一つはオルフェーヴル自身の気性の難しさを指摘する見方です。
まず、騎乗判断については、勝利を確信したスミヨン騎手が、ゴール前で追うのをわずかに緩めてしまったのではないか、という指摘があります。世界屈指の名手である彼が、一瞬の油断を見せたことが失速につながったという見解です。一方で、スミヨン騎手自身はレース後に「馬が勝手に競馬をやめてしまった」とコメントしており、これはオルフェーヴルの気性の問題、つまり「ソラを使った」ことを示唆しています。
「ソラを使う」とは、レース中に馬が集中力を失ってしまう現象のことです。特に、直線で一頭だけ抜け出して周囲に馬がいなくなると、安心して走るのをやめようとすることがあります。オルフェーヴルは、その常識外れの強さと表裏一体の、極めて繊細で難しい気性の持ち主として知られていました。この敗戦は、彼の最大の武器である爆発的な強さと、最大の弱点である気性の危うさが、最も重要な場面で同時に顔を出してしまった結果なのかもしれません。
気性の難しさを象徴するレース
オルフェーヴルの気性を語る上で有名なのが、同じ2012年の阪神大賞典です。レース中に突然コースを逸脱して大きく失速しながら、そこから信じがたい走りで復帰し、2着に食い込みました。常人には理解の及ばない「天才」と「怪物」が同居する、彼の個性を象徴する一戦です。
管理していた池江泰寿調教師は、後に「10回やれば9回は勝てたレース」と語っており、陣営にとっても悔やんでも悔やみきれない敗戦であったことが伺えます。真実は定かではありませんが、騎手のわずかな油断と、馬のほんの少しの気まぐれが重なった、運命のいたずらだったとも言えるでしょう。これほどまでに「勝利」に近づきながら、それを手放してしまったレースは他にありません。だからこそ、この一戦は日本競馬史における永遠の「もしも」の物語として、これからも語り継がれていくのです。
本当にあと数メートルでしたからね…。あの時の衝撃と悔しさは、今でも忘れられません。競馬に「たられば」は禁物ですが、これほど考えてしまうレースは他にないですよね。

偉業を継ぐ英雄オルフェーヴルの現在
現役引退後、オルフェーヴルは種牡馬となり、北海道の社台スタリオンステーションで第二の馬生を送っています。そして、父として輝かしい成功を収めているのです。
産駒(子供たち)は父の闘志を受け継ぎ、国内外のビッグレースで大活躍しています。
- ラッキーライラック:エリザベス女王杯連覇、大阪杯などG1を4勝
- マルシュロレーヌ:日本馬として史上初となる米国ダートG1・ブリーダーズカップディスタフ制覇
- ウシュバテソーロ:世界最高賞金レースであるサウジカップ2着、ドバイワールドカップ制覇
これら以外にも多くの重賞勝ち馬を輩出しており、種牡馬として大成功を収めています。自身が果たせなかった凱旋門賞制覇の夢を、いつか自身の産駒が成し遂げてくれるのではないか。そんな新たな期待を抱かせながら、オルフェーヴルは現在も偉大な父として君臨しています。

凱旋門賞に出ていれば勝ってた日本馬を考察
これは競馬ファンにとって永遠のテーマの一つですが、近年で最もその可能性があったと議論されるのがイクイノックスです。
イクイノックスは、2023年にジャパンカップを圧勝し、国際競馬統括機関連盟(IFHA)が発表する「ワールドベストレースホースランキング」で年間世界1位のレーティングを獲得しました。これは、歴史上のいかなる凱旋門賞馬をも上回る数値であり、能力的には疑いようのない世界最強馬でした。
彼の強みは、スピードはもちろんのこと、レースセンスの良さと、どんな展開にも対応できる自在性にあります。パワーも兼ね備えており、欧州のタフな馬場もこなせた可能性は高いと考えられます。残念ながら彼の挑戦は実現しませんでしたが、「もしイクイノックスが凱旋門賞に出ていたら…」という想像は、多くの競馬ファンを今も楽しませています。
他にも名前が挙がる名馬たち
他にも、圧倒的なスピードで逃げ切るスタイルが確立されていれば面白かったかもしれない「サイレンススズカ」や、史上最強のダート馬と評される「クロフネ」が芝に適応できていれば、といった様々な「もしも」の物語が語られています。

次の凱旋門賞で歴代最強となる日本馬は
この記事では、凱旋門賞の歴史、日本馬が勝てない理由、そして数々のドラマについて掘り下げてきました。最後に、本記事の要点をリスト形式でまとめます。
- 凱旋門賞は歴史と格式、そして種牡馬選定という重要な役割を持つ世界最高峰のレースである
- シーバードやダンシングブレーヴなど歴史に名を刻む歴代最強馬が数多く誕生してきた
- 日本馬の挑戦は1969年のスピードシンボリから始まり半世紀以上の歴史がある
- 日本馬が勝てない理由は馬場、コース、ペース、調整など複合的な要因が絡み合っている
- 日本の高速馬場と違い、パリロンシャンの芝はパワーとスタミナが要求される重い馬場である
- 高低差の激しいコース形態やフォルスストレートも日本馬を苦しめる一因となっている
- これまでに2着に入った日本馬はエルコンドルパサー、ナカヤマフェスタ、オルフェーヴルの3頭
- ディープインパクトは3着入線後に禁止薬物検出で失格となった
- 失格の原因は意図的なものではなく治療薬の残留であり、日仏のルールの違いが背景にあった
- オルフェーヴルは2012年、勝利目前で失速し2着に敗れ多くのファンが今も悔やんでいる
- 2013年のオルフェーヴルは極悪馬場に泣き、適性のあるトレヴに完敗した
- 引退後のオルフェーヴルは種牡馬として成功し、国内外でG1馬を多数輩出している
- 「もし出ていれば勝てた」という議論では近年イクイノックスの名前が最も多く挙がる
- イクイノックスは世界最高のレーティングを獲得しており能力的には凱旋門賞馬を凌駕していた
- 日本競馬界にとって凱旋門賞制覇は長年の悲願であり、今後も挑戦は続いていくだろう
