TTG最後の主役!グリーングラス有馬記念の蹄跡

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競馬史に燦然と輝く「TTG時代」。その最後の主役として時代を締めくくった名馬、グリーングラス。多くのファンがグリーングラスの有馬記念での激走を記憶に刻んでいます。この記事では、彼のキャリアを語る上で欠かせないグリーングラスの菊花賞制覇から、その強さの源泉であるグリーングラスの血統、そして引退後のグリーングラスの産駒グリーングラスの子孫たちの物語までを深く掘り下げていきます。また、語り継がれる逸話「武士の情けだ グリーングラス」の真相や、馬名の由来となったグリーングラスの意味、そして「思い出のグリーングラスの意味」についても解説。後の名馬グラスワンダーとの意外な関係、ライバルであったトウショウボーイの産駒との比較、輝かしいグリーングラスの成績戦績、そしてグリーングラスが年度代表馬に輝いた栄光、故郷青森で過ごした晩年まで、グリーングラスの全てを網羅した完全データベースをお届けします。

この記事で分かること

  • TTG時代におけるグリーングラスの立ち位置と功績
  • 有馬記念や菊花賞など、主要レースでの詳細な戦績
  • 血統背景、産駒、子孫、そして馬名の由来に関する深い知識
  • 「武士の情けだ」といった逸話の真相と競馬史に残る物語
目次

TTG時代を彩った名馬グリーングラス有馬記念の記憶

  • グリーングラスの血統的背景を紐解く
  • グリーングラスの菊花賞における圧巻の走り
  • ライバルと鎬を削ったグリーングラスの戦績
  • グリーングラスが年度代表馬に輝いた年
  • グラスワンダーとの名前の不思議な関係
  • 種牡馬としてのグリーングラス産駒の活躍

グリーングラスの血統的背景を紐解く

グリーングラスの強さを理解する上で、その血統背景は欠かせない要素です。彼は北の馬産地、青森県の諏訪牧場で生を受けました。決して主流とは言えない環境から現れた彼の血統は、まさに異色の配合と言えるものでした。

父:インターメゾと母父:ニンバスの長距離適性

父は英国の長距離G1・セントレジャーステークスを制したインターメゾ。この父から受け継いだスタミナが、グリーングラスの長距離レースにおける無類の強さの源泉となりました。菊花賞(3000m)や天皇賞・春(3200m)といったクラシックディスタンスを超えるレースで彼が輝きを放ったのは、この父の血が色濃く影響していると考えられます。

加えて、母の父であるニンバスは、英国の二冠馬(2000ギニー、ダービー)であり、これもまたスタミナとスピードを兼ね備えた良血です。このように、父系と母系の双方からヨーロッパの一流長距離血統を受け継いでいたことが、グリーングラスの競走能力の根幹を形成していました。

豆知識:母ダーリングヒメの優秀な血統

グリーングラスの母であるダーリングヒメは、日本の競馬史に残る名馬トキノミノルの全姉にあたるダーリングを祖母に持ちます。日本の馬場への適応力が高い血統背景も、彼の成功を後押しした一因と言えるでしょう。

グリーングラスの5代血統表

彼の血統構成をより詳しく見るために、5代血統表を確認してみましょう。世界の名馬たちの名前が並んでいることが分かります。

グリーングラス
1973 鹿毛
*インターメゾ
Intermezzo
1966 鹿毛
HornbeamHyperion
Thicket
PlazaPersian Gulf
Wild Success
ダーリングヒメ
1965 鹿毛
*ニンバス
Nimbus
Nearco
Kong
ダーリングTudor Minstrel
Mellbreak

このように、グリーングラスは欧州の伝統的なステイヤー血統と、日本の馬場に適した血統が見事に融合した、まさに長距離を走るために生まれてきた名馬だったのです。

グリーングラスの菊花賞における圧巻の走り

グリーングラスの名前を競馬史に刻み込んだ最初のレース、それが1976年の第37回菊花賞です。このレースは、彼の勝負強さと類まれな才能が完全に開花した瞬間でした。

当時のクラシック戦線は、トウショウボーイテンポイントという二頭の怪物が席巻していました。無敗の皐月賞馬トウショウボーイと、驚異的な末脚を持つテンポイント。多くのファンは、この二頭の「TT対決」に注目しており、グリーングラスは20頭立ての12番人気という、まったくの伏兵扱いでした。

レース当日の京都競馬場は、雨の影響で重馬場。タフなコンディションの中、レースはやはりトウショウボーイが逃げ、テンポイントがそれをマークする展開で進みます。しかし、直線で内からスルスルと抜け出してきたのが、安田富男騎手騎乗のグリーングラスでした。先行する二頭を鮮やかに差し切り、2着のコクサイプリンスに5馬身もの差をつける圧勝を飾ります。

この時の単勝配当は12,370円という大波乱でした。まさに「第三の馬」が誕生した瞬間であり、ここから伝説の「TTG時代」が幕を開けたのです。

この菊花賞制覇は、単なるフロックではありませんでした。重馬場を苦にしないパワー、3000mを走り切るスタミナ、そして名手・安田富男騎手の巧みなインコース騎乗が完璧に噛み合った結果です。この一戦でグリーングラスは完全に本格化し、最強世代の一角としてライバルたちと熾烈な戦いを繰り広げていくことになります。

ライバルと鎬を削ったグリーングラスの戦績

グリーングラスの競走生活は、単なる勝ち負けの記録ではなく、トウショウボーイテンポイントという二頭の巨星と共に駆け抜けた、不屈の魂が織りなす壮大な物語でした。彼の戦績を辿ることは、すなわち日本競馬が最も熱く燃えた「TTG時代」の激闘史そのものを追体験することに他なりません。ここでは、彼の全26戦の蹄跡を、単なるデータの羅列ではなく、成長と感動の物語として深く掘り下げていきます。

結論から言えば、彼の通算成績は26戦8勝。数字だけを見れば、圧倒的な強さを誇ったわけではありません。しかし、その勝利の中には菊花賞、天皇賞(春)、そして有馬記念という、当時の競馬における最高峰のレースがすべて含まれています。これは、彼が大舞台になればなるほど、そして距離が延びれば延びるほど真価を発揮する、真のステイヤー(長距離ランナー)であったことの証明です。

クラシックでの苦悩と覚醒前夜 (~1976年夏)

デビュー当初、グリーングラスはまだ「TTG」の一角を担う存在ではありませんでした。クラシック路線(3歳馬の主要レース)では、既に完成されていたトウショウボーイとテンポイントの圧倒的なスピードとパワーの前に、全く歯が立たないレースが続きます。特に皐月賞では13着と大敗を喫し、この時点では二強との間には埋めがたい大きな差がありました。

しかし、グリーングラスはここから着実に成長を遂げていきます。多くの馬が休養する夏場も函館競馬場で走り込み、馬体がひと回りたくましくなって秋を迎えます。その成長の証が、菊花賞トライアルのセントライト記念でした。勝ったのはトウショウボーイでしたが、グリーングラスは最後まで食らいつき2着を確保。二強に大きく離されていた春までとは、明らかに違う走りを見せたのです。この一戦が、彼の覚醒を予感させる重要なレースとなりました。

TTG時代の立役者へ (1976年秋~1977年)

菊花賞での劇的な勝利により、グリーングラスは名実ともに関東の秘密兵器から「第三の馬」へと昇格し、ここから伝説のTTG時代が本格化します。古馬となってからの彼の戦いは、常に二頭の偉大なライバルとの力比べでした。

競馬史に残る死闘:1977年 有馬記念

TTG時代を象徴するレースとして、1977年の有馬記念は外すことができません。これは、三頭が揃って走る最後のレースでした。レースは、トウショウボーイが驚異的なペースで逃げ、それをテンポイントがただ一頭追いかける、息もつかせぬマッチレースとなります。中山競馬場の短い直線で繰り広げられた二頭の叩き合いは、今なお語り継がれる伝説です。

グリーングラスは、この常軌を逸したハイペースの展開の中、3番手で必死に前を追いました。結果は3着。二頭には及びませんでしたが、他の馬たちが遥か後方に脱落していく中、最後までこの歴史的な死闘に参加し続けた唯一の馬でした。最強の二頭の走りを最も間近で見届けた彼の存在が、このレースをより一層ドラマチックなものにしたのです。

世代の守護神としての奮闘と悲願 (1978年~1979年)

テンポイントの悲劇的な死、そしてトウショウボーイの引退により、1978年以降のグリーングラスはTTG世代最後の生き残りとして、下の世代の挑戦を受け続ける「世代の守護神」という立場になります。

1978年の天皇賞(春)では、ライバルたちが去った中で見事に盾を掴み取り、ついに単独での栄光を手にしました。しかし、その後は勝ちきれないレースが続き、世代交代の波が押し寄せます。特に同年の有馬記念では、新興勢力のカネミノブにゴール前でハナ差交わされ2着に惜敗。誰もが「グリーングラスの時代も終わったか」と感じた瞬間でした。

しかし、彼は決して諦めませんでした。この「あと一歩」の悔しさが、翌年の感動的なフィナーレへの壮大な伏線となるのです。

グリーングラス 全競走成績一覧

彼の不屈の物語を、全26戦の公式記録でご覧ください。

開催日競馬場レース名距離(芝)着順騎手1着馬(2着馬)
1975/10/11東京3歳新馬1600m2着岡部幸雄アイフル
1975/11/02東京3歳新馬1600m1着岡部幸雄(カネコベンケイ)
1975/12/07中山ひいらぎ賞1600m3着岡部幸雄フェアスポート
1976/01/10東京4歳オープン1800m3着岡部幸雄トウショウボーイ
1976/02/01東京東京4歳S2000m6着岡部幸雄テンポイント
1976/04/04中山弥生賞2000m7着岡部幸雄トウショウボーイ
1976/04/25東京皐月賞2000m13着岡部幸雄トウショウボーイ
1976/08/29函館UHB杯1800m1着安田富男(インターフラッグ)
1976/09/26中山セントライト記念2400m2着安田富男トウショウボーイ
1976/10/24京都京都新聞杯2000m4着安田富男テンポイント
1976/11/14京都菊花賞3000m1着安田富男(コクサイプリンス)
1976/12/19中山有馬記念2500m10着安田富男トウショウボーイ
1977/03/13中山オープン1800m1着安田富男(イシノサコン)
1977/04/03中山オープン1800m3着嶋田功ヤマブキオー
1977/04/29京都天皇賞(春)3200m2着嶋田功テンポイント
1977/06/05東京宝塚記念2200m4着安田富男トウショウボーイ
1977/10/23東京天皇賞(秋)3200m5着嶋田功ホクトボーイ
1977/12/18中山有馬記念2500m3着大崎昭一テンポイント
1978/04/02中山オープン1800m3着岡部幸雄カシュウチカラ
1978/04/29京都天皇賞(春)3200m1着岡部幸雄(カシュウチカラ)
1978/10/08東京オープン2000m5着岡部幸雄カシュウチカラ
1978/11/26東京天皇賞(秋)3200m3着岡部幸雄テンメイ
1978/12/17中山有馬記念2500m2着岡部幸雄カネミノブ
1979/04/29京都天皇賞(春)3200m3着岡部幸雄カシュウチカラ
1979/11/25東京オープン1800m1着岡部幸雄(シービークロス)
1979/12/16中山有馬記念2500m1着岡部幸雄(メジロファントム)

TTG直接対決の結果

三頭が同じレースで火花を散らした全7戦の結果です。グリーングラスが二頭より先着したのは、歴史的な勝利を飾った菊花賞のみでした。

  • 1976年 東京4歳S:1着テンポイント、4着トウショウボーイ、6着グリーングラス
  • 1976年 皐月賞:1着トウショウボーイ、2着テンポイント、13着グリーングラス
  • 1976年 菊花賞1着グリーングラス、2着コクサイプリンス、3着テンポイント、4着トウショウボーイ
  • 1976年 有馬記念:1着トウショウボーイ、2着テンポイント、10着グリーングラス
  • 1977年 天皇賞(春):1着テンポイント、2着グリーングラス、7着トウショウボーイ
  • 1977年 宝塚記念:1着トウショウボーイ、2着テンポイント、4着グリーングラス
  • 1977年 有馬記念:1着テンポイント、2着トウショウボーイ、3着グリーングラス

こうして見ると、直接対決では後塵を拝することが多かったのは事実です。しかし、だからこそ二頭をまとめて破った菊花賞の価値が際立ち、最後まで食らいついた1977年有馬記念での走りが、彼の不屈の闘志の証明としてファンの胸を打つのです。

グリーングラスが年度代表馬に輝いた年

競走馬のキャリアにおいて、自身の引き際を最高の形で飾れる馬は、ほんの一握りしかいません。グリーングラスの競走生活の集大成、そして最高の栄誉が訪れたのは、まさにその奇跡を実現した引退レース、1979年の第24回有馬記念でした。この劇的な勝利によって、彼はその年の年度代表馬に選出され、自らの物語を完璧な形で完結させたのです。

ラストランへの道のり ― 終わらない挑戦

1978年に天皇賞(春)を制して以降、グリーングラスは1年半以上も勝ち星から遠ざかっていました。前年の有馬記念ではハナ差の2着と惜敗し、7歳(旧表記)となったこの年も、天皇賞(春)で3着に入るなど力のある走りは見せるものの、かつての輝きは失われつつあると見られていました。「世代交代」の波が押し寄せ、「グリーングラスも artıkこれまでか」という声が囁かれる中、陣営は彼の引退レースとして、4度目の挑戦となる有馬記念を選びます。

そして運命の枠順抽選。彼に与えられたのは、16頭立ての16番枠。当時のフルゲートの大外枠であり、スタートから最初のコーナーまでの距離が短い中山競馬場の2500mにおいて、これは絶望的とも言えるほどの不利な条件でした。年齢的な衰え、勝ち星からの遠ざかり、そして最悪の枠順。多くのファンが、彼の有終の美を願いつつも、勝利は難しいだろうと考えていました。

神騎乗と奇跡の直線 ― 1979年有馬記念

しかし、グリーングラスと名手・岡部幸雄騎手は、この逆境を乗り越えるための完璧なプランを持っていました。スタートが切られると、岡部騎手は無理に前に行かず、大外からゆっくりと馬群の内側へと進路を取ります。そして1コーナーを回る頃には、まるでマジックのように中団の内ラチ沿いという絶好のポジションを確保していました。大外枠の不利をスタート直後わずか数十秒で完全に消し去った、まさに「神騎乗」の始まりです。

道中、グリーングラスは馬群の中でじっと息を潜め、完璧な折り合いでスタミナを温存します。そして勝負所の第4コーナー、岡部騎手は馬群がばらけるのを冷静に待ち、最小限の動きで進路を確保すると、直線で一気にスパートを開始しました。

先に抜け出した菊花賞馬ハシハーミットや、粘り込みを図るメジロファントムを、内から馬体を併せるようにして猛追。緑の帽子が、ターフを戦い抜いた古豪の意地を乗せて、一完歩ずつ前へと迫ります。そしてゴール直前、ついにメジロファントムをクビ差捉え、先頭でゴール板を駆け抜けました。

7歳にして衰えぬ闘志と、名手の完璧なエスコートが融合して掴み取った、あまりにも劇的な勝利でした。

着順枠番馬番馬名性齢騎手人気
1着816グリーングラス牡7岡部幸雄3
2着48メジロファントム牡5横山富雄4
3着713ハシハーミット牡4河内洋6
4着11カネミノブ牡6加賀武見1
5着35シービークロス牡5吉永正人5

TTG物語、完結へ ― 年度代表馬の栄誉

この勝利は、単なる1勝以上の、競馬史における特別な意味を持っていました。前述の通り、ライバルであったテンポイントは前年に悲劇的な最期を遂げ、トウショウボーイは種牡馬として新たな道を歩んでいました。TTGの中でただ一頭、現役としてターフに立ち続けていたグリーングラスが、最後の最後にグランプリを制したことで、ファンは競馬史の一時代が最も美しい形で完結したことを感じたのです。

物語の力がもたらした最高の栄誉

この年の年度代表馬選考は、絶対的な主役がいない混戦模様でした。しかし、この有馬記念での劇的な勝利が持つ「物語の力」が、選考委員である記者たちの心を強く打ちました。叩き上げの雑草と言われた馬が、偉大なライバルたちを見送った後、自らの引退レースで最高の栄光を掴む。このストーリーこそが、年度代表馬という最高の栄誉に最もふさわしいと評価されたのです。

そして、この選出により、1976年のトウショウボーイ1977年のテンポイント、そして1979年のグリーングラスと、TTGの三頭がそれぞれ年度代表馬に輝くという、空前絶後の快挙が達成されました。まさに彼の不屈の闘志がもたらした、最高のフィナーレだったと言えるでしょう。

グラスワンダーとの名前の不思議な関係

時代は下り、1990年代後半。有馬記念を連覇するなど一時代を築いた名馬にグラスワンダーがいます。「グラス」という冠名から、グリーングラスとの血統的な関係を考えるファンも少なくありませんが、実はこの2頭に直接的な血の繋がりはありません。

では、なぜ同じような名前が付けられたのでしょうか。その理由は、2頭の馬主にあります。

実は、グリーングラスの馬主であった半沢吉四郎氏と、グラスワンダーの馬主である半沢信彌氏は、双子の兄弟なのです。

兄・吉四郎氏が所有したグリーングラスの「グラス」という響きを、弟・信彌氏が気に入り、自身の所有馬の冠名として受け継いだのが「グラスワンダー」の始まりです。つまり、血の繋がりではなく、馬主の兄弟という深い縁によって、名馬の名前が受け継がれることになったのです。

グリーングラスもグラスワンダーも、共に有馬記念を制し、年度代表馬に輝いたグランプリホース。不思議な縁で結ばれた2頭が、中山競馬場の歴史に大きな足跡を残したことは、競馬のロマンを感じさせるエピソードの一つです。

種牡馬としてのグリーングラス産駒の活躍

1979年の有馬記念を最後に現役を引退したグリーングラスは、種牡馬として第二の馬生をスタートさせました。自身の競走成績、特に長距離での強さから大きな期待が寄せられましたが、結論から言うと、種牡馬としては大成功とは言えませんでした。

しかし、決して産駒が走らなかったわけではありません。少ないながらも、中央競馬の舞台で活躍する馬を輩出しています。

主なグリーングラス産駒

  • リワードウイング:1985年のエリザベス女王杯(G1)を制し、産駒唯一のG1ホースとなりました。
  • トシグリーン:1986年のセントライト記念(G2)、1989年の新潟大賞典(G3)を勝利。
  • トウショウファルコ:1987年のアメリカジョッキークラブカップ(G2)を勝利。

このように、産駒も父と同様に中長距離の重賞で活躍する傾向が見られました。特にリワードウイングが牝馬クラシック最終戦を制したことで、種牡馬としての面目を保った形です。

ライバルとの比較

一方で、ライバルであったトウショウボーイは種牡馬として大成功を収めました。三冠馬ミスターシービーを筆頭に、数々のG1ホースを輩出し、内国産種牡馬のエースとして一時代を築きます。この差が、グリーングラスの種牡馬成績をやや寂しいものに見せている側面は否定できません。

それでも、自身の血を後世に伝え、G1ホースまで送り出したことは、種牡馬としての確かな功績と言えるでしょう。


伝説として語り継がれるグリーングラス有馬記念

  • 逸話「武士の情けだグリーングラス」の真相
  • 引退後のグリーングラスと青森での余生
  • 現代に血脈を繋ぐグリーングラスの子孫
  • 「思い出のグリーングラス」に込められた意味
  • TTGのライバル、トウショウボーイ産駒との比較
  • 総括:色褪せないグリーングラス有馬記念の栄光

逸話「武士の情けだグリーングラス」の真相

グリーングラスを語る上で、しばしば「武士の情けだ」というフレーズが引用されることがあります。これは関西テレビの杉本清アナウンサーによる名実況の一部とされていますが、実はこの言葉はグリーングラスに向けられたものではありません。

逸話の正確な背景

この実況は、1978年の日経新春杯で、ライバルのテンポイントがレース中に故障(競走能力喪失)し、必死にゴールを目指す姿に対して送られたものです。グリーングラスはこのレースに出走していませんでした。
ファンやメディアの間で情報が混同され、いつしか「武士の情けだ、グリーングラス」という形で誤って伝わってしまったのが真相です。グリーングラス自身の持つ、叩き上げの雑草魂や不屈のイメージが、この言葉と結びつきやすかったのかもしれません。

杉本アナウンサーの実況は、悲劇に見舞われたテンポイントの姿を捉えた、競馬史に残る名場面の一つです。その言葉が、直接の関係はないものの、同じ時代を戦ったライバルであるグリーングラスの逸話として語り継がれていることは、TTGという時代の物語がいかにファンの心に深く刻まれているかを示す証左と言えるでしょう。

引退後のグリーングラスと青森での余生

種牡馬を引退した後のグリーングラスは、1995年に故郷である青森県の諏訪牧場へ戻り、功労馬として穏やかな余生を送りました。現役時代の激闘を知るファンにとっては、故郷の緑の牧草地で静かに過ごす彼の姿は、感慨深いものがあったでしょう。

中央の華やかな舞台から遠く離れた北の地で生まれたグリーングラスが、数々の栄光を手にした後、再びその地へ帰っていったのです。彼の馬生は、まさに「故郷へ錦を飾る」という言葉を体現するものでした。

残念ながら、2000年6月19日、蹄葉炎のため28歳でその生涯を閉じました。しかし、彼の功績は青森の馬産地における大きな誇りとなり、現在も多くの競馬ファンに語り継がれています。

現代に血脈を繋ぐグリーングラスの子孫

種牡馬としてのグリーングラスの後継は、残念ながら現在では途絶えており、父系の血脈(サイアーライン)は残っていません。これは、ライバルのトウショウボーイや、同時代の多くの名種牡馬たちと比較すると、寂しい現実と言わざるを得ません。

しかし、父系が途絶えたからといって、彼の血が完全に競馬界から消えたわけではありません。

彼の娘たち、つまり繁殖牝馬となった産駒を通じて、その血は母系(ファミリーライン)の中で今も生き続けています。グリーングラスを母の父、あるいは母の母の父に持つ競走馬が、現在もターフを駆け抜けています。

直接的な後継者がいないため、その名前を見かける機会は減りましたが、日本の競馬を支える血統の多様性の一部として、彼の遺伝子は確かに受け継がれているのです。グリーングラスの子孫たちが、いつか大きな舞台で活躍する日を夢見るのも、競馬の楽しみ方の一つかもしれません。

「思い出のグリーングラス」に込められた意味

グリーングラスという馬名の直接の由来は、アメリカの有名なカントリーソング「Green, Green Grass of Home」です。この曲は、日本では「思い出のグリーングラス」という邦題で知られています。

この曲の歌詞は、一見すると故郷の美しい緑の芝生を懐かしむ望郷の歌のように聞こえます。しかし、その内容は非常に切ないものです。

楽曲のストーリー

「Green, Green Grass of Home」は、死刑囚が処刑される直前に、夢の中で故郷に帰り、愛する人々と再会するという情景を歌っています。そして夢から覚め、冷たい現実(独房の壁)と向き合い、故郷の緑の芝の下に埋葬されることを悟る、という悲しい結末を迎えます。

なぜ、このような悲しい歌が名馬の名前になったのか、その正確な理由は定かではありません。しかし、故郷(青森)から中央の舞台へ旅立ち、栄光を掴んで再び故郷へ帰っていったグリーングラスの馬生は、どこかこの歌が持つ「望郷」のテーマと重なる部分があるようにも感じられます。遅咲きで、決してエリート街道を歩んできたわけではない彼の馬生に、馬主が何らかの想いを重ねたのかもしれません。

TTGのライバル、トウショウボーイ産駒との比較

前述の通り、グリーングラスの種牡馬成績は、ライバルであったトウショウボーイと比較すると、見劣りするものでした。ここでは、両者の種牡馬としての成績を具体的に比較してみましょう。

「天馬」と称されたトウショウボーイは、種牡馬としてもまさに天馬のような活躍を見せます。

トウショウボーイとグリーングラスの種牡馬成績比較

項目トウショウボーイグリーングラス
代表産駒ミスターシービー(三冠馬)、サクラホクトオー(朝日杯3歳S)、ダイイチルビー(安田記念、スプリンターズS)などリワードウイング(エリザベス女王杯)、トシグリーン(セントライト記念)、トウショウファルコ(AJCC)など
G1勝利産駒数6頭1頭
リーディングサイアー
最高順位
2位(1983年、1985年)26位(1985年)

成功の要因

トウショウボーイの成功の最大の要因は、なんといっても三冠馬ミスターシービーの存在です。父譲りのスピードと天性のレースセンスを武器にターフを席巻し、父の種牡馬としての評価を不動のものにしました。一方、グリーングラスはG1馬を1頭出したものの、後継種牡馬となるような大物を出すことができませんでした。この「後継者」の有無が、両者の明暗を分けたと言えるでしょう。

競走馬として最後まで鎬を削ったライバルは、種牡馬の世界では大きく異なる道を歩むことになりました。これもまた、競馬の奥深さを示す一例です。

総括:色褪せないグリーングラス有馬記念の栄光

この記事では、名馬グリーングラスの競走生活から引退後までを多角的に解説しました。最後に、記事全体の要点をリスト形式でまとめます。

  • グリーングラスは青森県の諏訪牧場生産の競走馬
  • トウショウボーイ、テンポイントと共に「TTG時代」を築いた
  • 父インターメゾから受け継いだスタミナが武器の長距離ランナー
  • 1976年の菊花賞を12番人気の低評価を覆して圧勝
  • 菊花賞制覇がTTG時代の本格的な幕開けとなった
  • ライバルとの直接対決では苦戦することも多かった
  • 1977年の有馬記念ではテンポイントとトウショウボーイの激闘に次ぐ3着
  • 1978年に天皇賞(春)を制覇
  • 引退レースとなった1979年の有馬記念で悲願の初優勝
  • 有馬記念制覇が評価され1979年の年度代表馬に選出
  • 逸話「武士の情けだ」はテンポイントに関するものでグリーングラスとは無関係
  • 馬名の由来は楽曲「思い出のグリーングラス」
  • 種牡馬としてはエリザベス女王杯馬リワードウイングなどを輩出
  • 父系の子孫は途絶えたが母系でその血は続いている
  • グラスワンダーとは馬主が兄弟という縁で繋がっている
目次